クオータビザサポートを始めた経緯
「鳥のように生きたい。」
馬鹿だと思われたかもしれません。子供の頃から理由は分かりませんが、そのように感じ続けてきました。いきなりですが、現在このような形で「鳥になる為のツール」をご提供していると個人的には感じています。何の事か良くわからないと思いますので若干、当方の過去に遡り、経緯をご説明してまいりますので、暇つぶしがてら見て頂き、少しでもこれからの生活の参考にして頂ければ幸いに思っています。
高校生の頃、スノーボードにどっぷりとはまり3年生の夏休みに2ヶ月間、スノーボードをする為だけにニュージランドに行きました。そこで自分の中でがらっと世界観が変わる転機であったと、その時はあまり感じませんでしたが、今、振り返ると感じています。
※スノーボードやサーフィンは、一般的に他のスポーツと同様に捉えられますが、他のスポーツと圧倒的な違う点は、何より自由である、1つの表現方法である、生き方である、というアート的側面が競技性より強く、鳥になりたい自分にぴったりでした。
それで、ニュージランドへのトリップは、宿も決めずに渡航。着いて、全てを決定していく高校生の自分と2歳年上の3人の友人、計4人での旅でした。クライストチャーチに到着後、早々に宿探し。当時はスマートフォンもありませんので、宿を見つけるといっても一苦労です。そして、当時もお金も当然あまりありませんので、ようやく見つけた宿がバックパッカーの為のドミトリーで、そこに泊まる事に。しかし、ベットはあるものの、なんと毛布がない。。しょうがなく皆、かいこのように丸くなって一夜をどうにか過ごしました。ここで1つ大きなカルチャーの違いを感じた瞬間でした。
次の日、急いでまずは寝袋を購入し、そして目的地のワナカへ行く為には車が必要ということで、早速、街の車屋さんへ。そこで、30万円ぐらいの中古車を見つけ、バイバックという仕組みで車が購入できるとのこと。
※バイバックとは、一定期間使用し、その車に問題がなければ買い戻してくれる仕組み。
その車の購入を決め、4人の大きな荷物を荷台に載せ、いざ出発。そして、広大な景色を堪能しつつ、ようやくワナカに到着。すぐに長期で泊まれる宿を探します。そこで見つけたのが、羊牧場の横に無造作に置かれた数十のキャピングトレーラー。
面白そうなので話しを聞いてみると、そこに泊まれるということでここに決定する事に。キッチン、トイレ、シャワーは中央のあたりに共用施設の建物が設置されており、それぞれの寝床は、無造作に配置されたキャンピングトレーラーの中で過ごします。なんだか隠れ家に住んでいるような気分でした。
共用スペースでは、ニュージランド人のバックパッカーもいて、料理したものをシェアし一緒に夕食を共にし楽しみました。
羊牧場の真横ですので、夜になると辺り一面は真っ暗。ふと空を見上げると、空一面のリアルプラネタリウム。すっぽり地球に包まれた心地で壮大な気持ちになりました。朝起きて外に出れば、羊の群れが目と鼻の先。その様子を見ながら歯を磨き、そしてコーヒーを飲めたのは最高の瞬間でした。
そしていよいよカドローナというスキー場に向かいます。 その道中で驚いたのが、山道を走っていくのですが、ガードレールが一切ない。確実に道から外れれば生きては帰れない断崖絶壁にも関わらず。
そしてそして、スキー場の滑走エリアも、ほぼ立入禁止区域の境界線はほぼなし。日本であれば、そこらかしこに立入禁止区域があるのは当たり前のことでした。
このニュージランドと日本のスキー場を比較した時、 日本のスキー場は、ディズニーランドのような管理され安全が確保されたテーマパークのように見えました。
ニュージランドの考えは自然を人間に合わせない、人間が自然に合わせるべき。その為に、自然と共存し生きる事に対して人間が最低限の責任を持つのは当たり前のことである、というメッセージを発しているように感じました。
日本を考えた時。やはり過保護に守られ、自然に合わせるというより人間の都合に全て合わせていく体制、つまり人間の本来持っているサバイバル能力(どんな所でも生き抜く力)を低下させるような環境だと強く感じます。まさに日本という大きな檻の中で生活している感覚です。
他にも色々とカルチャーの違いを目の当たりにし、日本で当たり前だと教わってきた事が全然当たり前ではないことを10代で実感できる貴重な経験をすることができました。
そういった自分の価値観に変革をもたらす経験をし、さらに世界が見たくなりニュージランドから戻ってきて、次の年、スイスの万年雪であるサースフェーに住むことにします。ちょうど2000年頃でしたが、驚いたのが、そのサースフェーという小さな街では、既にその当時から電気自動車しか入れない街づくりをしていたことでした。今思うと非常に先進的です。
そしてお昼になると、スーパーマーケットやレストラン、どこもかしこも2時間ほどお休みに。さらに17時を過ぎると、ほぼどのお店も空いていない。最初は日本の常識が当たり前だった為、若干、不便に感じましたが、生活をしていけばその街のリズムに合わせ生活する事ができるようになり、何不自由なく生活でき、むしろ自然のリズムに合わせた生活が、逆に心地よくなるほどでした。
ニュージランド同様、スキー場にはほぼ立入禁止区域はなく、自己責任が基本。ここでも、ニュージランドで感じた人間が自然に合わせていく生活の心地よさ、逆に厳しさを感じた瞬間でした。
次の年もスノーボードをする為だけに、スイスの違う都市ラークスという場所に行き、住むことに。その時、スイスを探検しようということでお金もなかった為、丸々1日ヒッチハイクでどこまでいけるのか!というノリだけで、何台もヒッチハイクをし、色々な所を見て周りました。スイスの方々と生でふれあい、今でも楽しい思い出として脳裏に鮮明に残っています。
そして次の年、カナダの世界的リゾートウィスラーに住む事に。この時はワーキングホリデーを使い、最初の半年はバンクーバーに住み、冬になり後半の半年は、ウィスラーに住みました。バンクーバーで友人になった外国の友達と部屋を探し、ルームシェアしたり、ウィスラーでは25人ぐらいが一緒に住む一軒家のシェアハウスで生活したり、今でいうシェアする文化を一足早く体感できた瞬間でした。
ウィスラーのスキー場は世界的にも有名な地域もあり、日本のスキー場とは異なり、世界中から人から集まり、街とスキー場が一体化し老若男女関係なく、エンターテイメントを創り出す街という感覚が残っています。
カナダ、スイスも60代か70代の老夫婦がスキー場のレストランで優雅にワインを楽しむ姿を良く見かけたのも印象的で、これは日本にはない光景で、日本が学ぶべき点かなと感じました。やはり、誰しもが歳を重ねていくわけで、いくつになっても生きることを楽しみたいものですので。
そして次の年、その次の年も、カナダに行き、計3年間カナダに滞在していました。その3年間本当に色々体感し色々感じたのですが特にそのカナダの滞在の際、強く感じたことがありました。
それが「やはり日本だけに住んでいるのではなく他の国でも住めた方が絶対に楽しい!」「世界中どこにいても仕事ができるようにしておきたい!」という2点でした。
そこで早速、馬鹿な自分は、永住権に関して、自身で調べ、実際に長くカナダに住んでいる友人にも根掘り葉掘り聞き、それで分かったのが永住権を取得するのはかなりハードルが高く、また取得できたとしても、維持する為に1年間のうち半分以上はカナダにいなければ剥奪、と非常に難しいものでした。(当時2000年頃の話しです。)
他の国も調べましたが、カナダ同様、当時の自分には非常にハードルが高いものでした。 (現在よりは遥かに簡単な条件であったとは思います。)
それで永住権取得は、しぶしぶその時は断念しましたが 仕事だけは、物理的な場所に縛られてはいけない、という事でインターネットが国境を飛び越えている事に気づき、インターネットを使った事業を起ち上げ、生計を立てることに。国内で今で言うノマド的な場所に縛りがない働き方をし、5年ぐらい経つと、やはり日本国内だけでなく、何か海外と繋がっていたい、そして、やはり日本以外の国に永住権を取得しておきたい、という思いが日に日に大きくなっていました。
いわゆるベンチャー企業で大きくするぞ!などという欲は持った事がありませんでした。よりわだかまりのない世界へ。という気持ちが強い方でした。
振り返れば、通常、若い頃に海外で住む場合、ほとんどが留学です。しかし、私の場合は完全に個人的な楽しみの為のみで、数か国に長期間住みついており、やはり馬鹿なのだと思います。その代わり、より深い生活を体験できたとは思っています。
これらの事で学べた事は、どのような環境下にいても人生を謳歌できるようにする、身近な大切な人はどのような状況になっても守れるようにする、という事でした。その為の方法として、なるべく何か1つに依存する状態は避けるようにしなければ。日本の閉鎖的な環境だけに依存した状態になるのは危険だと思いました。日本以外の居住権取得は必須だと強く感じた瞬間でした。
そんな事を悶々と感じ国内での生活にも飽きてきた頃、香港、中国が行く機会がありその時の縁から実は全くのノーマークであったフィリピンでの永住権(クオータビザ)を数百万円で非常にスムーズに運良く取得することができてしまったのです。当時2009年の後半頃でした。
クオータビザの申請は、内情、日本では考えられない込み入る事情が多々あります。まさに「郷には郷に従え」という格言に則り進める形でした。結果、 複雑な過程を経て、世界でも有数の自由度が高い列記とした永住権(クオータビザ)を取得することができました。現在は、昔ほぼ簡単にはいきません。
一般的には共感しにくい事なのかもしれませんが、その国に住まなくとも、日本以外に住める権利を持っているという事は、何か底知れぬ安心感を私は感じるタイプです。もちろん、取得した直後だけでなく、その後も、安心感は実際に日々感じれています。
日本が嫌いなのか?と質問されれば、日本は大好きです。と回答します。日本は大好きですが、財政的問題、少子高齢化、地震、原発、閉鎖的な雰囲気などなど問題が山積みなのも事実、やはり全体的に暗いイメージがあるのは否めない状況かと思います。自分がじっとしていられない、という性格と、やはり、このような明るい見通しがない日本、そして情報がある意味湾曲して伝わっている日本にずっと身を置くのはどうかなと思う気持ちもあり、日本以外の国に永住権を持っておく意義が個人的にはあるのだと感じています。
当然、自国の問題から逃げるのか!しっかり向き合わないのか!という意見もあり、当然そのとおりだと思います。
しかし、現在多様性の時代であり、全員がそのように強制的に思う必要はないのだと思っています。野球に熱狂する人もいて、全く興味がない人もいる。と同様に人それぞれの考えがあって良いのだと思います。
インターネットが登場しあらゆる情報へのアクセスが容易になり、各々が最善だと思う生き方が人類史上初に、できるようになった幸せな時代に我々は生きています。政治家になり国を変えたい、偉大な起業家になり世界を変えたい、と思うのは大いに凄いことです。あるいは、いわゆる敷かれたレールに乗る人生は親が喜ぶのかもしれません。
私は世間のレールからことごとく逸れ、過ごしてきました。別に誰にも称賛されなくても良いし、ただ自分らしくある、それが大事だと確信し生きてきました。
10代後半から、ある特定の国、地域に定住という一般概念はなく、鳥のように生活し一度だけ定住を試みましたがやはり性に合いませんでした。フィリピンも素晴らしいですし、日本も素晴らしい、他の国々も素晴らしいのです。
居住してみる事で、より深くその国を知る事ができます。世界は約200カ国、地域にすればさらに数多くあるわけで、であれば、少しでも違いに多く深くふれあい、違いを実際に感じ、違いを尊重し、違いと共存できる世界になれば、一層のこと、国境なんかなくられば、と妄想したりしているほどです。
かといって、日本に住みながらでも、日本以外の国に永住権がある事で世界の視野は広がり、安心は感じることができるはずです。
世界中を探してみてもらえばわかりますが、永住権というのは簡単に取得できるものでは決してありません。どこの国も実質年々厳しくなっているのが顕著で、通常、安価でも5000万円ぐらいの所持金は必要。そして維持する条件も非常に厳しいです。先進国であれば最低でも1億円以上が必要であり、その資金がない場合は、現地の方と結婚するか、現地で就職しワークビザを出してもらうしかの2つの方法しか通常ありません。一見、自分が国を選んでいるように見えて、実はその国から選ばれる人にならなければ居住権を得ることができない残酷な現実もあるのです。
このようにどの国でも、あくまで自立した永住権(permanent visa)の取得となると、最低でも5000万円の所持金が最低でも必要になるのが通常です。しかしこんな厳しいの中でも、フィリピンの最高位のビザ(唯一の永住権)であるクオータビザであれば、実質取得プロセスは非常に不透明で取得が困難なのですが、弊社の2010年からの移民局内部の関係の積み上げにより、どうにかかろうじて、手を伸ばせば取得できる状況にあります。
実際に、申請の内情は一筋縄ではいかず、非常に不透明。その為、残念ながら詐欺にあったお問い合わせもたくさん頂戴しています。このような詐欺事件が横行しているということもあり、弊社はしっかりと地に足をつけ、内部と常に根気よくやりとりを続けてきたことで、2010年から現在まで日本人クオータビザ取得者のほとんどの方々、計約150名以上の方々をサポートした結果となっています。
今、フィリピンはこれから伸びていく国自体のパワーがあります。経済が右肩上がりで成長している1つの大きな根拠として、人口の安定的な増加が挙げられます。日本では少子超高齢化の問題が深刻ですが、フィリピンではその逆で、高齢者より高齢者を支える若者の人口が遙かに多く、人口も増え続けている状況です。
その為、当然、街の雰囲気は、非常に活気があるのは言うまでもありません。そして何よりフィリピンの人々が逆境にあっても、底知れぬ明るさで生き抜く様、また、スペインに長期間教育もさほど与えられず統治されてきたわけですが、そのような状況だったにも関わらず、スペイン人を恨むことをしないおおらかさ、日本人は多くの事をフィリピンの方々から学ぶことができるはずです。
少なくとも私は学ばせてもらっています。
さらに、世界的にも有数の7000もの島々、美しいビーチが点在するありのままの自然が残っているのも南国フィリピンです。
よく日本の多くの方から「フィリピンは危ないのではないですか。」というご質問を頂きます。ここで、強くお伝えしたいのは、日本は世界でも安全な国の部類です。なので、日本よりは、自分の身は自分で守るというのが大原則になります。 この自分の身は自分で守るという気持ちさえしっかり持っていれば、フィリピンで生活することは至って安全であると、実際にマニラの中心マカティに数年生活していて本当に実感しています。どのコンドミニアムも24時間ロビーに警備員が常駐し、マカティの町中であれば24時間街中にも配備されているほどです。
さて、ずらずらとここまでありのままを綴ってきましたが、もしかしたら不愉快に感じる部分、意味不明な部分があったかもしれません。
最後に21世紀は、移動の低価格により、ほとんどの人が定住のパラダイムから少しずつデュアルライフ、もしくは多拠点生活へゆっくりと推移していくはずです。であれば、日本に住みながら、今のうちに日本以外の国、日本から4時間で着く南国にいつでも住める権利を所持しておく事は、老後を計画する際も楽しくなるし、毎日も生活をする上でもなんとなく安心感を感じれます。
本当に諸外国の権利関係は刻々と条件が難しくなっており、遅かれ早かれ取得しようと思われている場合は、早めに動かれた方が有利な条件にて取れるのは諸外国の変遷を見ると間違い状況です。
この機会を1つの世界への扉のきっかけにして頂ければ幸いです。
そして最後に、もう1つお伝えしたい事があります。それが、フィリピンは日本の男性の方のイメージが非常に昔は強かったですが、実は女性にとっても大変素晴らしい国です。観光も当然魅力ですが、何より世界的に女性の社会進出がトップクラスなのがフィリピンです。 だからこそ、マニラにオフィスを構え運営させて頂いてるわけですので、弊社では日本の女性の方々にもフィリピンの魅力を少しでも正しく理解して頂き、 フィリピンという国をきっかけとしてより世界に目を向け、大きく人生を歩んで頂ければ大変光栄だと考えています。
クオータビザというフィリピン最高位の永住権取得をきっかけに、グローバルに生きるきっかけとし、より自立した勇ましく現代を乗りこなし、楽しむ生き方を発見して頂ければ嬉しく思います。
この文章を通し、少しでも何かしらのきっかけにして頂き、前進して頂ければ幸いに思っております。そして、もしお会いできる機会がありましたら、それこそ大変光栄だと思っております。 何か永住権のこと、不動産のこと、フィリピンのことであれば何でも構いませんので、 お気軽にご相談ください。少しでもお力になれれば嬉しく思っております。この記事をシェアする
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会社概要
弊社リモンズは2010年よりフィリピンで唯一の永住権クオータビザ取得サポートエージェントとして、フィリピン政府移民局・退職庁から信頼できるパートナーとして公認を受け運営しております。「日本の将来が不安」「フィリピンに住みたい!」などフィリピン永住権を安全に取得したいとお考えの方のお力になります。2010年よりクオータビザ全日本人取得のうちほとんどの方をサポートする圧倒的な実績を誇ります。2018年よりLimonz Days Inc.に社名変更致しました。 詳しくは会社概要まで。
フィリピン政府移民局公認
クオータビザ発給を管轄するフィリピン政府移民局より信頼できるパートナーとして認定されクオータビザ申請サポートしております。2018年初旬にLimonz Days Inc.に社名変更
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リタイアメントビザ発給を管轄するフィリピン政府退職庁(PRA)より信頼できるパートナーとして認定。